「霞亭文庫目録」紹介
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「霞亭文庫目録」紹介

小 林 元 江


1.はじめに
2.霞亭文庫
3.整理法
4.資料紹介
  1)給金付 見立尽し
  2)双六 口上書
  3)追善興行 死絵
  4)改名録 師弟系図
  5)錦絵
  6)市川団十郎関係資料
  7)中村歌右衛門関係資料
  8)その他
5.おわりに
(資料)渡辺霞亭年譜(略)



1. はじめに


 渡辺霞亭の旧蔵本が東大附属図書館に購入されたのは、大正の末期であった。以後半世紀余を経て、昨年ようやく「東京大学総合図書館 霞亭文庫目録」が出版された。これは、東大総合図書館が編纂した初めての書誌解題目録である。

 旧蔵者の渡辺霞亭は、 明治・大正期に、新聞小説や戯曲その他で活躍した小説家であるが、現在では殆どその名を知られていない。

東大図書館の総合目録には「天野屋利兵衛」 「実説朝顔日記」「乳人政岡」「後藤隠岐」「堀部安兵衛」「加藤清正」「金原明善翁」「栗山大膳」「ニ宮尊徳」「後の後藤又兵衛」「乃木大将」「大石内蔵助」「大石陸女」「白河楽翁」「曽我兄弟」「高山彦九郎」「天理教側面観」「豊臣秀吉」「山鹿素行」等の目録カードがある。

「栗山大膳」ニ編 (碧瑠璃園著、鏑木清方画 大正二年 隆文館発行)の巻末広告欄には、徳田秋声、泉鏡花、小栗風葉等と並んで、渡辺霞亭先生大傑作「家庭小説渦巻」「大石内蔵助」「天野屋利兵衛」「堀部安兵衛」の広告が、一段と大きく扱われている。

この「家庭小説渦巻」は、当時高田実により上演され、世に渦巻模様の流行をみたと伝えられ、渡辺霞亭の流行作家振りがうかがい知られる。

又「名優中村鴈治郎栗山大膳に扮し、大正三年初頭の大阪劇壇を賑はさんとす、碧瑠璃園氏平生抱懐の道義また遺憾なく此著と此名優とに体現せられ、下編一段の佳境に入って市に出ずる頃は、我が東西の劇壇この為一大光彩を放つに至るべし」との広告文もあり、劇界の期待も大きかったようである。

この頃は、霞亭が大阪朝日新聞社を退社した直後で、専ら健筆を揮い、歴史小説界を風靡した時代であった。趣味も広く、書画、彫刻、骨董などと並んで、彼が特に主力を注いだのは江戸文学の貴重書蒐集であった。それが縁あって震災後の東大図書館の蔵書となり、研究者の羨望の的となった




2. 霞亭文庫 このページの先頭へ


 震災後、東大図書館には南葵文庫や青洲文庫などと前後して、霞亭文庫、洒竹文庫、竹冷文庫、知十文庫などが蔵書に加わった。

丁度大学を出て副手だった頃の東大名誉教授故守随憲治先生が、萩原羅月先生と、震災の焼残り本や霞亭文庫などの山積された本の間で、裸同然の姿で奮闘していた話は、学者仲間で有名である。

これらのコレクションは、東大図書館では貴重本を除き、分類毎に書庫に排架されてしまったが、幸い霞亭文庫は、洒竹文庫(大野洒竹旧蔵本)、竹冷文庫(角田竹冷旧蔵本)、知十文庫(岡野知十旧蔵本)と共に、旧蔵者の文庫の形をくずさずに保管されていた。恐らく、洒竹、竹冷、知十は俳諧書であり、霞亭は江戸文学書でまとまっていたために、解体を免がれたのだと思われる。


渡辺霞亭蔵書印九種


 霞亭文庫の構成をみると、江戸時代の文芸を広く網羅したものであるが、彼自身が、小説や戯曲を得意とした関係で、小説系統のものが多い。確かな選択と財力をもって蒐集されたこれらの蔵書は、孤本、珍本の類で埋まっている。昭和3年の価額表の写しから、当時値段の高い順に拾ってみるとまず西鶴本を筆頭とする。

「男色大鑑」千三百一円、「好色五人女」千二百八十円、「好色二代男」千百円、「好色一代男」千五十円、「本朝二十不孝」千円となっている。西鶴本は、現在でも高価とされているが、当時既にこのような現象にあったことに驚かされる。

歌舞伎では、「古今四場居百人一首」千二百円、役者評判記の「野郎大仏師」五百六十一円等が特に高く、「野郎立役舞台大鏡」百八十一円などは稀覯本のわりには比較的安い。

古浄瑠璃も、霞亭文庫には貴重なものが多く、この文庫の特色の一つと評価されているが、たとえば「しんとく丸」「公平法門諍」「日本蓬莱山」「頼光跡目論」「日本大王」「頼光勇力諍」「なすの与一竹生嶋詣」「日本王代記」「判官吉野合戦」「四天王大田合戦」「金平歳旦発句」等は、何れも、僅か五丁か六丁の半紙本1冊で、各々百円から二百円の値段がついている。

これらは時代による変動はあるかも知れないが、当時の古書流通を知る上で興味ある資料だと思われる。

 これらの貴重本が、長いこと出納不便な状態におかれていたことから、早急に目録作成の必要があり、昭和30年代に、青野伊豫児司書官の依頼を受けて、守随先生が帙作成の予算を文部省に申請した。これを手始に、大先輩の山田富子氏と私とで仮目録を作った。

 霞亭文庫は以前から、近世文学研究者の間で、書冊目録出版を要望する声が強かった。それに応えて、図書館側も遅々たる歩みながら、目録編纂に動き出したのである。




3.整 理 法 このページの先頭へ


(その1) 調査用紙作成

 まず、霞亭文庫目録編纂委員会を作り、江戸時代前期小説を駒沢大学教授 冨士昭雄先生、後期小説を国文学研究資料館教授 本田康雄先生、演劇、歌謡、風俗関係を学習院大学教授 諏訪春雄先生に担当していただいた。

そのうち、御伽草子と、演劇の一部を小林が担当し、全体の編集構成を受持った。監修並びにご指導は、国文学研究資料館長であった市古貞次先生を仰いだ。

 調査用紙には、次の項目をたてた。

書名 巻・冊数 図書番号 著者・編者名 体裁(表紙・寸法) 行数 丁数 題簽 見返し 序題 目録題 内題 尾題 柱刻・板外 挿絵 絵師 序・跋記 刊記・奥書  刊年・成立時 蔵書印 備考

書名は、原則として内題を標目とした。端本で書名の不明なものは、柱刻や章題で補ったが、手懸りのないものについては、仮題をつけ推定括弧をつけた。浮世草子の[好色縁の花さく]などは、章題を書名にした例である。

 又、芝居、浄瑠璃、黄表紙、洒落本等は、特に書名の読みがむずかしい。そこで標目の全書名に現代仮名遣いによる読みをつけた。活字の問題としては、標目の書名及び説明文以外は、総て正漢字を用いた。

特に芝居関係に「見立」を「」と書くような、作字が多く、印刷校正などに手間どった。冊数表示では、各巻の表紙がなく、まとめて綴じたものは「合綴」とした。黄表紙などは、五丁を1巻と数えた。合綴本については、様々なケースがあり、問題の多い所である。

著者名及び編者は、書物に記載された通りの名を用い、本名通称などを括弧で補い、索引で調整した。又、著者の表示では、文学作品の場合は著者を「作」とし、それ以外は「著」とした。

浄瑠璃の正本の古いものには作者名はなく、その浄瑠璃を語った太夫が明かなものは、その太夫名を作者欄に示した。歌舞伎や浄瑠璃の世界では、襲名により名前が変わることが多い。世襲のものは、括弧に(初世)などと補った。

特に注意したいのは、同じ時代に、別人が同姓同名を名乗り、活躍している場合がある。目録上の形式を整えるために、やたらに統一出来ないのである。

本の大きさについては、同じ板本が、天地裁断により、大きさの表示が変ってくることがある。これらの矛盾については、検討の結果、匡郭の大きさで理解することにして、現況に従って表示した。

尚、半紙本、中本、小本などの区別も、小説のジャンルによっては、多少のずれがある。表紙及び題簽は、原表紙、原題簽の判別し難いものもあり、止むを得ない場合があった。

写本の成立年代は、明らかなものについては、「草稿」「後の写」などの区別を記した。識語には、霞亭自身の書いたものと、柳亭種彦、種員、式亭三馬、蜀山人等があり、資料としても興味深いものがあった。これらは、備考欄になるべく全文を記載した。

(その2) 分 類

 分類は、蔵書構成に従って、次の13項目に分けた。

 1.御伽草子・舞の本

 (1)御伽草子 (2)舞の本

 2.仮名草子

 3.浮世草子

 4.読本

 5.洒落本

 6.滑稽本

 7.咄本

 8.赤本・黒本・青本

 (1)赤本 (2)黒本・青本

 9.黄表紙・合巻

 (1)黄表紙 (2)合巻

 10.浄瑠璃

 (1)古浄瑠璃 (イ.説経浄瑠璃 ロ.古浄瑠璃 ハ.公平浄瑠璃) (2)義太夫節  (3)諸派

 11.歌舞伎

 (1)狂言本 (2)番付類 (3)評判記 (4)雑書

 12.歌 謡

 13.その他

 (1)艶本類 (2)遊里関係書 (3)狂詩・狂歌類 (4)俳諧 (5)教訓書 (6)軍記類 (7)その他

以上のように分類して、年代順に配列した。問題点を拾ってみると、例えば、黄表紙から合巻への移り変りや、絵入り狂言本が絵本番付へ移る場合、初めは殆ど同じ形式で、区別がつきにくい。

古浄瑠璃の場合は、義太夫節以前を古浄瑠璃とし、それ以後を諸派としたため、同じ太夫が前期と後期に名を出している場合もあり、どちらかに統一しなければならない。

こうした分類上の問題は、各所にみられるが、刊年、内容、体裁などから、その都度適切な判断が必要である。

 咄本は、小咄を合本したものが多く、表紙をそのまま合綴したものもあれば、全く寄せ集めのものもあり、表示に骨が折れた。

  合綴の場合は、なるべく内容欄を設けて話の題名を記載した。演劇、歌謡の中にも、合綴本、貼込帖、寄せ本、摺物帖などがあり、これらも内容を詳細に紹介した。浮世草子と、艶本類も、区別のつけにくいものがあるが、挿絵などを考慮して処理した。




4.資料紹介 このページの先頭へ

 

 霞亭文庫全冊が、研究者にとっての貴重な資料である事は、今更言うまでもないが、その中で、余り知られていない「近世伎史」について紹介してみたいと思う。

   「近世伎史」は、享保年間から明治に至る、歌舞伎その他の文化史を採録したもので、45冊に及ぶ膨大な貼込帖である。

編集者は、佐野劇仙翁とあり、蓬開ともいったらしいが、残念ながらどういう人物かわからない。

近世伎史の内容が、名古屋や豊橋近辺のものが多いのと、資料中に「佐野権三郎宛小野湖山急行便上書」「佐野権三郎宛受領書 豊橋芝居興行主 鶴山常山 明治十二年」というのがあり、或いはこの辺が、手がかりになるかもしれない。

資料の内容から類推すると、芝居に関係した人ではないかと思われるが、未だ判然としない。

内容は、その時代々々の資料を丹念に整理し、1枚1枚貼りつけたもので、古番付 地方芝居 子供芝居 見立番付 改名録 双六 師弟関係図 錦絵 口上書 死絵 役者評判 給金表 うちわ絵 木戸通り札 見立尽し等である。演劇史のみならず、文化史としても大事な遺産である。

今迄は、内容が未公開であったために、どういう資料が収まっているか、わからなかった。今回の目録作成にあたり、45冊の内容を、洩らさず記載した。ここにその一部を紹介する。

 1) 給金付 見立尽し

 家名誹名並きうぎん付 大芝居役者鳥づくし 大坂歌舞伎役者給金付(寛政・享和)1枚

 大芝居役者餅づくし(寛政・享和)1枚

 三ヶ津大芝居役者見立百人一首(享和2)1枚

 役者正札付呉服物見立(寛政・享和)1枚

 太夫三味線大芝居役者嫗山姥二の切文句見立(文化15)1枚

 中村座市村座菅原伝授手習鑑役者見立料理茶屋盡し(文政6)1枚

 大芝居役者魚づくし見立(天保5)1枚

 三ヶ津太夫三味線大見立相撲(天保14)1枚

 大新板張陽芝居惣者誉角力見立(弘化3)1枚

 大新板役者繁花地見立(弘化4)1枚

 江戸三座顔見世角力見立番付(嘉永3)1枚

 嵐璃寛当狂言盡(安政4)2枚

 屋上多見蔵当狂言盡(安政4)1枚

 大日本雷名集官員之部月給付(明治11)1枚

 大日本雷名集二編俳優之部給金付(明治11)1枚

芝居番付や、角力番付の形をかりて、当時の流行や、人気、評判等、興味のある事柄を取上げている。主に、役者、遊女、芝居の外題、茶屋、名所、作者、呉服、道具、名物などがあり、番付としては、雑番付と呼ばれている。

ここにあげた寛政期は、芝居番付も比較的少ないから、役者評判記などと関連してみると面白い。明治の官員の月給と、役者の給金の番付は、対象してみると面白いのではないかと参考に掲げてみた。

 2) 双六 口上書

 那智山御利生敵討浦朝霧飛廻双六 京都四条南側芝居新狂言(文化l2)1枚

 大新板女猿曳門出諷飛廻双六 四条北側芝居(天保9) 1枚

 大新板けいせい廓船諷飛廻双六 四条北側芝居(天保10) 1枚

人気狂言の双六が多い。かるたなどと共に、婦女子の遊び道具の一つであり、役者の当り狂言を並べて見立てたものなどがある。

 増補裏表仮名手本忠臣蔵口上書 名古屋橘町芝居(嘉永5)1枚

 名古屋若宮芝居中村梅枝口上書(嘉永7)1枚

 吉田手間町芝居市川小団治一座口上(安政3)1枚

 吉田元新町勧進芝居口上(安政4)1枚

口上書は、襲名披露の際、今日でも張出されるが、役者が地方にお目見得した時、又は病気全快、お名残狂言、ー世一代などで特別の狂言を上演する際などに番付に添えられるものである。

 3) 追善興行 死絵

 嵐橘三郎めいどへのりこみ(文政4)1枚

 沢村其答辞世(嘉永2)1枚

 三桝稲丸さいご物かたり(安政5)1枚

 市川鰕十郎辞世(安政5)1枚

 京四条芝居三枡大五郎の死にまつわる風聞 手簡(安政6)1枚

 三枡大五郎辞世並に大津ゑぶし(安政6)1枚

 梅升涅槃像(安政6)2枚

 中村玉七さいごものがたり 大津ゑぶし(安政7)3枚

 片岡我童さいご物語(文久3)1枚

 市川市蔵さいご物がたり(元治2)1枚

 中村駒之助死去大津絵ぶし(明治2)1枚

 浄瑠璃迷途六道辻 坂東三津五郎、瀬川菊之丞死絵(天保3)1枚

 中村梅花改松江死絵(天保6)1枚

 実川額十郎死絵(天保6)1枚、同(慶応3)1枚

 浅尾興六死絵(嘉永4)、吉田芝居浅尾与六追善芝居口上、引札(嘉永6)3枚

 嵐璃寛死絵 五葉亭広信画(文久3)1枚

 嵐璃死絵 芳滝画(元治元)1枚

 嵐吉三郎死絵 広実画 同広信画(元治元)2枚

 市川市蔵死絵 実広画(元治2)1枚

 市川滝十郎死絵 芳滝画(慶応4)1枚

役者が亡くなると、追善の催しが行われる。辞世が発表されたり、故人を忍ぶ句集や物語、大津絵節などが作られ、追善興行が行われて、死絵が画かれる。

 4) 改名録 師弟系図

 三都大芝居浜芝居子供芝居役者師弟系図(文政10)1枚(文政12)1枚(天保4)1枚(安政3)2枚(安政6)2枚

 三ヶ津太夫三味線人形改名師弟付(天保7)1枚

 三ヶ津大芝居浜芝居子供芝居役者改名録(天保11)1枚(嘉永4)1枚

 大江戸歌舞伎役者現在師弟系図(嘉永3)1枚

 三都惣役者改名録(嘉永4)1枚

 次第不同三都太夫三味線操改名録(嘉永4)1枚

改名録や師弟関係の系図は、役者の歴史を知る上で大きな手懸りとなる。各時代の資料が揃えば、既成の説が訂正されることも少くない。

「三都」とか「三ヶ津」とあるのは、「サンガノツ」と読ませて、江戸時代の「江戸・京都・大阪」の意である。「浜芝居」は「チュウシバイ」と読む。

 5) 錦 絵

 弥生塩干の遊 英山画 1枚

 五元集風俗くらべ 英泉画 1枚

 おちよ半兵衛 英山画 柱絵 2枚

 関三十郎の鬼王新左衛門 豊国画 1枚

 片岡我童道頓堀角の芝居船乗込之図 芳雪画(文久2)2枚

 尾上多見蔵、市川市蔵親子口上 広信画(元治元)2枚

 浪花道頓堀二替芝居積物一覧 茂広画(元治2)1枚

以上は幕末の錦絵であるが、「近世伎史」の一端として紹介した。

 6) 市川団十郎関係資料

 鬼若根元台市川団十郎兵のせりふ 中村座(文政8)1枚

 市川白猿待請当勢能褒鯉 名古屋若宮芝居(天保8) 5丁半

 八代目市川団十郎親孝行御褒美之写(弘化2)2枚

 名古屋橘町常芝居成田屋七左衛門(市川海老蔵)目見得口上書(嘉永5)2枚

 江戸河原崎座一世一代市川海老蔵口上(嘉永5)5枚

 岡崎六地蔵芝居成田屋七左衛門 中村歌六口上書(嘉永7)1枚

 名古屋若宮芝居八代目市川団十郎口上書(嘉永7)1枚

 江戸八代目市川団十郎事市川白猿辞世(嘉永7)2枚

 八代目市川三升辞世名残り章(嘉永7)2枚

 八代目書置のうつし(嘉永7)3枚

 八代目市川団十郎事市川白猿死絵(嘉永7)1枚

 八代目市川団十郎最期物語(嘉永7)1枚

 大阪中之芝居 元祖団十郎二百十七年寿勧進帖(安政4)1枚

 角芝居一世一代大津絵ぶし 七代目海老蔵(安政4) 1枚

 七代目市川海老蔵辞世(安政6)2枚

 七代目市川海老蔵辞世並に惣役者手向の発句(安政6)3枚

 九代目市川団十郎改名摺物 写(明治7)1枚

 九代目市川団十郎口上 連尺町井り升座(明治10)2枚

団十郎関係の資料が、比較的揃っているので、ここに掲げた。

「近世伎史」以外の貼込帖や摺物帖にもあり、「歌舞伎風俗」には

 七代目団十郎改海老蔵 八代目海老蔵改団十郎襲名披露刷物 歌舞伎狂言組十八番(天保3)1枚

 市川団十郎のあらしゝ男之介・国性爺 清満画 2枚

 市川家初代至五代姿画 豊国画 1枚

がある。又、団十郎作の芝居狂言本は、「出世隅田川」(元禄14)と、「小栗十二段」(元禄16)もあり、何れも初代の作である。「小栗十二段」は、作者名である三升屋兵庫の名を用いている。

「莚猿狂句集」(天保2)は、ニ代目、五代目、七代目団十郎の狂句を収録したものであり、「遠く見ます」(天保13)は、七代目の作画である。「近世伎史」の資料紹介からははみ出したが、以上霞亭文庫の中の団十郎関係のものも、いくつか拾ってみた。

 7) 中村歌右衛門関係資料

 大新板歌右衛門当狂言飛廻双六(文化)1枚

 一世一代日本新玉九尾化 文化十年顔見世から中村歌右衛門のつとめた狂言の評判位付(文政8)1枚

 天保五改新板大当狂言合 嵐璃寛中村芝翫1枚

 役者龍虎勢 嵐璃寛中村歌右衛門芸評(天保7)7丁半

 中村歌右衛門あずまみやげいよぶし新もんくかへうた(嘉永2)1枚

 御当地御名残中村歌右衛門 病気全快市村羽左衛門口上書 市村座(嘉永2)1枚

 中村歌右衛門略評判(外題)中村歌右衛門浪花栞(嘉永4)3枚

 中村歌右衛門さいご物がたり(嘉永5)1枚

 中村歌右衛門さいご物語(嘉永5)2枚

 中村歌右衛門死絵(嘉永5)1枚

 翫雀之噂(嘉永5)1枚

 中村歌右ヱ門葬式ニ付忠九ノ見立(嘉永5)1枚

 中村歌右衛門香奠至來物目録 初編(嘉永5)1枚

 中村歌右衛門死絵涅槃像(嘉永5)1枚

 此度中村歌右衛門冥途より相贈り候書状之写(嘉永5)1枚

 極楽東門故人旅芝居顔見世番付(嘉永5)1枚

 極楽東門芝居顔見世之図(嘉永5)1枚

歌右衛門は、特に四代目に資料がまとまっている。

この他、霞亭文庫には、「中村歌右衛門古郷へはれの錦画姿」(文化9)、「芝翫帖」(文化11)、「化納歌右衛門帖」(文化13)、「芝翫百人一首玉文庫」(文政2)、「翫雀年代記大成」(嘉永5)、「翫雀追善はなしとり」(嘉永5)などがある。四代目歌右衛門は、技量人気共に当代随一で、四代目三津五郎と競って文化文政期の名舞踊を残した人である。

 8) その他

 三ケ津歌舞妓薄雪年代記―寛保元年初演より文政十二年まで八十九年間の薄雪狂言年代記―(文政12) 1枚

 天保十一年盆替吉田芝居中山兵太郎配り団扇 1枚

 道頓堀芝居茶屋配り番付の袋表紙 松川屋幸三郎 1枚

 市村羽左衛門二百十八年寿 摺物 1枚

 片岡仁左衛門市川小団次立廻りの次第(安政3)2枚

 大阪大火絵図(安政5)1枚

 大阪大火本しらべ(安政5)1枚

 江戸市村座狂言作者河竹新七へ贈る引幕摺物(文久3)2枚

 市村座狂言作者河竹新七手翰(文久3)2枚

以上は、雑多ながら目につくままに取上げてみた。配り団扇や、番付の袋などは、あまり保存されないので、珍らしい資料である。




5.おわりに このページの先頭へ


霞亭文庫目録が完成するまでには、色々な紆余曲折があったが、ともかくも出版にこぎつけたことは、大きな喜びである。それにつけても、目録作成の道をつけて下さった、当時の黒住武閲覧課長のご尽力は、忘れることは出来ない。

目録編成の苦労もさることながら、帙の題簽を墨書し、番号の入替毎に、何度もラベルを貼付し直す繁雑さもあった。

心残りは、和本の糸のほつれを、そのままにしてあることである。書誌学的にほ原装保存の問題もあり、古書の扱いは、難しいことが多いのである。霞亭文庫も現在は「A00」の貴重書庫に収まって、利用者も急増したと聞く。本来の目的は達成されたわけである。

今後は、これらの貴重な文化遺産を、どう保存していくかの問題が残されていると思う。このような、孤本、稀覯本の類を、大切に守っていくのも、我々図書館人の使命と考えるからである。




(資料)渡辺霞亭年譜(略) このページの先頭へ

元治元.11 尾州藩士族 渡辺源吾の子として、名古屋主税町に生まれた。本名は勝、初め甲子太郎といった。生長して好生館に学んだが、2年で退学した。
明治14岐阜日日新聞に入社。続いて名古屋の金城新報に転社する。
明治20上京して、絵入自由新聞他諸新聞の記者生活を経て、東京朝日新聞社入社。
明治21「三人同胞」発表。
明治22「阿姑麻」発表、 この頃から文壇に認められた。雑誌「都の花」 「芳譚」などに長短篇を書く。
明治23朝日新聞社長 村山龍平に認められ、大阪朝日新聞社に移る。
明治24西村天囚、岡野半牧等と、雑誌「なにはがた」を創刊した。
明治27大阪朝日新聞誌上に「袖頭巾」を発表、のち、須藤南翠の後を受けて、大阪朝日新聞社会部長となる。明治40年代まで、大阪朝日、東京日日、読売、報知、都新聞などに、長短篇小説を発表して、超人的な活躍振りを続けた。
大正元大阪朝日新聞を退社、客員となる。大正年間も、大衆雑誌や婦人読物に、時代物、現代物を連載、又劇評や講演などをよくし、関西文壇の重鎮とされた。時代小説は、緑園 碧瑠璃園の号を用い、現代小説は、黒法師 霞亭の号を用いた。この他にも、朝霞 先春窩 流霞 霞の家 黒頭巾 哉也翁 王孫樹庵 少霞 春帆樓 木母庵など多数の号がある。作品は、渡辺華山 荒木又右衛門 木村長門守 尾張宗春卿 銭屋五兵衛 吉田松陰 楠正成 高野長英等、小説、脚本、随筆、漫録、千餘篇を数える。
大正154月7日、大阪市天王寺松ケ鼻に歿、63歳


(霞亭年譜参考文献)

  新 潮 社 「日本文学大辞典」第7巻 1951
  平 凡 社 「大日本人名辞典」第6巻 1954
  立川文明堂 「明治大正文学美術人名辞書」1926
  講 談 社 「日本近代文学大事典」第3巻 1977

<58・8・15 受理,こばやし・もとえ 東京大学総合図書館整理課和漢書目録掛>


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